北海道へ行こう!

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青函連絡の歴史と努力!かつて「海の新幹線」と呼ばれた摩周丸

前回、北海道新幹線が開業して、新しい北海道へのアクセスが誕生したことをお伝えしました。みなさんご存じの通り、北海道新幹線は津軽海峡の下、青函トンネルを通り抜けることとなります。

北海道に来る、という今となっては簡単になってしまったこの行程は、実はたくさんの歴史と努力の積み重ねゆえ。今日はそんな歴史を紐解きつつ、北海道新幹線開業に賑わう函館の様子をお伝えします。
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新幹線開業で変わった?函館駅

函館は、南北海道を代表する観光地として有名です。

見たい場所がたくさんあって、とても1日でまわりきれるものではありません。そんな函館に、北海道新幹線の開業後初めて訪れてみました。駅周辺は、もう新幹線開業ムード盛りだくさん。駅や周辺には「開業」の文字が躍り、積極的にアクセスの良さや利便性、話題性をアピールしていました。地元の人たちの期待の表れですね。

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撮影した時間は、新幹線のアクセスとなる「函館ライナー」や札幌方面への特急列車もいない時間帯だったので、若干がらんとした感じではありますが、隣接されているお土産屋さんは大変な賑わいようでした。このあたり、新幹線が開業したからといって特に大きな違いはないのかもしれません。

でも、たしかに東京方面から新幹線を使って函館にいらっしゃった方がいるわけで、この割合が今後どのように変化して行くのかも楽しみの1つです。

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駅構内にあるお土産スポットは、列車を待つ間にも気軽に利用ができてとっても便利です。規模もとても大きくて、しかもキレイにリニューアルされていて、快適に買い物を楽しむことができます。もちろん、函館ならではの物産品や、お菓子類など豊富。結構これだけでも迷ってしまいます。

函館の駅弁!

そして、やっぱり旅行好きにはたまらないのは駅弁でしょう。

飛行機や新幹線など、移動の時間は短縮されても駅弁の持つ魅力はいつの時代も同じではないでしょうか?お弁当を買い込んで、列車の中で食べるのは「旅行してるっ!」という実感がこみ上げてきます。

そんな函館のお弁当で、オススメしたいのはこちら。
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鰊(ニシン)みがき弁当です。

お値段880円。昭和41年の発売なので約半世紀続く伝統の味。天日干しの身欠きニシンを煮付けて一晩寝かせているので、骨も気にならず食べられます。そして醤油付けの数の子。この親子の組み合わせがたまりません。シンプルだけど、だからこそおいしい、そんなお弁当ぜひ食べてみてくださいね。

函館駅周辺の様子は?

北海道新幹線が開通して、函館駅周辺が大きく変わったか、と言われれば、そんなことはありません。強いて言えば、アクセスの手段が1つ増えたということ、そして函館という選択肢の割合が上がった、というところでしょう。函館朝市も、いつもどおりの人出で賑わっていました。

そんな中、変化といえば…

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市電が北海道新幹線カラーになってました!
もちろん、全車両ではないので見つけるのは大変ですよ。

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朝一に並ぶ魚介類を横目に、向かったのはここでした。

函館市青函連絡船記念館 摩周丸

函館駅の少し西側に、1988年3月13日の青函連絡船最後の日まで運航していた摩周丸が静態保存されています。1964年の東京オリンピックに合わせて、国鉄(現JR)は東海道新幹線を開通させ、函館―青森間の津軽海峡にはこの摩周丸を含む最新鋭の連絡船を投入したんです。当時のキャッチフレーズは「陸と海の新幹線」でした。ここは、実際の乗り場だったそうです。操縦室や無線通信室がそのまま残っていて、さらには青函連絡の歴史を見ることができるんです。

北海道新幹線が通る青函トンネルは、1988年3月13日開通。つまり、この青函連絡はこの日を境に船から鉄道にバトンタッチしたことになります。ちょっと記念館に入って、このあたりの歴史を見てみることにしましょう。

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人はどのようにして海峡を渡って来たか

青函連絡船の歴史は古く、明治41年にまで遡ることができます。飛行機が1950年代に本州→北海道間で就航されるまで、50年近く北海道へのアクセスはこの青函連絡船が担ってきたことになります。もちろん、飛行機が一般的になるのはまだまだ後のこと。「北海道に行く=青函連絡船に乗る」という図式が長い間続いたんですね。DSC09667

そんな青函連絡船記念館の中には、歴代の連絡船の模型が多数展示されていました。

青函連絡船は、人はもちろん、船内に鉄道車両(貨車)をそのまま積み込んで津軽海峡を渡っていたんです。今の函館駅にはもうありませんが、以前は函館駅からさらに岸壁まで線路が伸びて、船への貨車の積み込みが行われていたんです。

最盛期の青函連絡船は、1日30往復もあったそうです。このため、1船の停泊時間はたったの55分程度。その間に鉄道貨車を下ろし、積んだ荷物を下ろし、乗客の入れ替えをし、DSC09670また貨車を積み、という作業を行っていたと思うと、大変な行程であったはずです。

しかもまだ鉄道での移動が多かったことから、その鉄道への乗り換え等も含めてこのあたりはごった返していた、とのことです。

青函連絡記念館では、こういったお話をガイドさんによって聞くことができます。当時の船長や航海士さんたちが実際に案内してくれるので、ぜひ参加してみるのも面白いと思います。

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青函連絡船が渡る津軽海峡は、西から東へ流れる津軽暖流が存在しているんです。日本海側は暖流である対馬海流の分岐点で、流れ込んだ海流は太平洋側で親潮と合流するため、流れが急で通過することが困難であると言われています。

そのため、青函連絡船は過去に大きな遭難事故が何度もありました。

天候や海流に左右されず、安心して通過できる「別の手段」の構築がまさに急務であったわけです。
それの代替となった青函トンネルも、開通まで27年かかったものすごい難工事であったわけですが、今こうして新幹線が通ったことを考えると(青函トンネルはもともと新幹線を通す計画で進められました)、ちょっと感慨深いものがあります。

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この記念館の資料を見ると、いかにこのルートが大切であるかわかります。そして青函連絡船の役割と、それに代わった青函トンネルもとても重要であることがわかりました。

青函連絡船は、船長はじめ航海士、機関士、通信士、客室乗務員など多くの人たちによって動かされてきました。所用時間は約3時間50分だったそうです。

新幹線は今、青函トンネルを25分で通過します。

今も昔も、青函連絡ルートは北海道発展を語る上でとても重要です。そして、北海道を支える大動脈でもあります。かつて、青函連絡船しかなかった頃、船が3日止まると北海道の物価が倍になったといいます。
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船長さんが握ったこの舵はとても重たかったのでしょうね。

写真のように実際の操縦台や通信室がそのまま残っていて、触ったり動かしたりすることができます。この場に立ってみて海峡に思いを馳せてみる、なんてこともステキかもしれません。

記念館の上からは、函館港の眺めが素晴らしかったです。
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こういった歴史を知ると、旅や移動がもっと楽しくなります。
そして、北海道がもっともっと好きになりました。

★今日ご紹介の場所(ポイントをクリックすると場所が表示されます)

 

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